徒然なるままに、思ったことや出来事などを綴ろうと思います。
最低月1回は更新をしようと思います。。。
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一昨日(11月15日)、所用で四ツ谷の方に行ってきたのですが、終わってから秋葉原~お茶の水に足を伸ばしてみました。
主目的はヤマノススメの9巻と10巻を買うため……だったのですが。
アニメイトとかとらのあなとかゲーマーズとか色々立ち寄ったものの、結局買えたのは10巻のみ……。9巻は何処だ。
仕方ないのでそのまま歩いてお茶の水駅へ……行く前に、神田明神と湯島聖堂に寄っていきました。
主目的はヤマノススメの9巻と10巻を買うため……だったのですが。
アニメイトとかとらのあなとかゲーマーズとか色々立ち寄ったものの、結局買えたのは10巻のみ……。9巻は何処だ。
仕方ないのでそのまま歩いてお茶の水駅へ……行く前に、神田明神と湯島聖堂に寄っていきました。
神田明神はこの日、というか11月は七五三の時季のようで、着物や袴を着た子供達とお父さんお母さん達が何組かいましたね。みんな綺麗で可愛らしかったです。
自分の時のことなんてこれっぽっちも覚えてませんがね。もう20年前か……。
で、結局神田明神は寄らずに門の手前でUターン。ジャマシチャワルイシネ
ちょっと先の湯島聖堂へ。
神田明神は何度か立ち寄ったことはあったのですが、湯島聖堂は1度もなかったんですよね。すぐ脇は何度も通ってるのに。
ちなみに似たような名前の湯島天神には、梅の花が綺麗な時季に1度行ってたりします。

で、今回初訪問の湯島聖堂。
作られたのが江戸時代(元禄3年(1690))で、徳川幕府5代将軍の綱吉が作らせたようです。生類憐れみの例でお馴染み(?)の将軍ですが、勉強熱心な将軍でもあったみたいです(Wikipedia)。
そして聖堂を作った上で上野の忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移したことが、湯島聖堂の始まりとのこと。
作った目的が儒学の振興を図るため。儒学は儒教を基にした学問です。
儒教は孔子が興した思想・信仰体系です。
そのおよそ100年後(寛政9年(1797))に幕府直轄学校の昌平坂学問所(通称『昌平校』)となりました。
つまり湯島聖堂は塾や学校といった、学問を勉強をするところでもあったということになります。
なんとなく神社仏閣みたいなイメージがあったのですが、少し違ったみたいです。
とはいうものの、聖堂は聖人や君子を祭った場所(Wikipedia)とのことなので、上のイメージもあながち間違いとは言えない(?)感じです。祭ってるのが神様や仏様ではなく聖人や君子という違いがありますが。
そんなわけで、初めて中に入った湯島聖堂ですが……。
非常に良い雰囲気でした。黒一色の壁と青緑の瓦屋根が重厚さを感じさせます。
こう、どっしりと落ち着いた雰囲気がありますね。
赤や金といった派手な装飾の神社仏閣も綺麗でよいですが(神田明神もそんな感じ)、こういう質素だけど荘厳な建物も良いですね。個人的にはこういう方が好きかな……。
見学していて非常に気分が落ち着きました。
また、訪れたとき丁度境内の一角で恐らく中国系の楽器(二胡のような)を演奏している方々がおり(上記画像2枚目)、その演奏がまた聖堂の雰囲気と合っていて良かったです。
立ち聞きする形となってしまい少々申し訳なさも感じていますが……。
あの辺り立ち寄ることがあればまた寄ってみたいと思う、湯島聖堂でした。
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(オマケ)
今回の生き物
雨樋からの水を受ける瓶(?)に止まるドバト。水浴びはしてませんでした。
自分の時のことなんてこれっぽっちも覚えてませんがね。もう20年前か……。
で、結局神田明神は寄らずに門の手前でUターン。ジャマシチャワルイシネ
ちょっと先の湯島聖堂へ。
神田明神は何度か立ち寄ったことはあったのですが、湯島聖堂は1度もなかったんですよね。すぐ脇は何度も通ってるのに。
ちなみに似たような名前の湯島天神には、梅の花が綺麗な時季に1度行ってたりします。
で、今回初訪問の湯島聖堂。
作られたのが江戸時代(元禄3年(1690))で、徳川幕府5代将軍の綱吉が作らせたようです。生類憐れみの例でお馴染み(?)の将軍ですが、勉強熱心な将軍でもあったみたいです(Wikipedia)。
そして聖堂を作った上で上野の忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移したことが、湯島聖堂の始まりとのこと。
作った目的が儒学の振興を図るため。儒学は儒教を基にした学問です。
儒教は孔子が興した思想・信仰体系です。
そのおよそ100年後(寛政9年(1797))に幕府直轄学校の昌平坂学問所(通称『昌平校』)となりました。
つまり湯島聖堂は塾や学校といった、学問を勉強をするところでもあったということになります。
なんとなく神社仏閣みたいなイメージがあったのですが、少し違ったみたいです。
とはいうものの、聖堂は聖人や君子を祭った場所(Wikipedia)とのことなので、上のイメージもあながち間違いとは言えない(?)感じです。祭ってるのが神様や仏様ではなく聖人や君子という違いがありますが。
そんなわけで、初めて中に入った湯島聖堂ですが……。
非常に良い雰囲気でした。黒一色の壁と青緑の瓦屋根が重厚さを感じさせます。
こう、どっしりと落ち着いた雰囲気がありますね。
赤や金といった派手な装飾の神社仏閣も綺麗でよいですが(神田明神もそんな感じ)、こういう質素だけど荘厳な建物も良いですね。個人的にはこういう方が好きかな……。
見学していて非常に気分が落ち着きました。
また、訪れたとき丁度境内の一角で恐らく中国系の楽器(二胡のような)を演奏している方々がおり(上記画像2枚目)、その演奏がまた聖堂の雰囲気と合っていて良かったです。
立ち聞きする形となってしまい少々申し訳なさも感じていますが……。
あの辺り立ち寄ることがあればまた寄ってみたいと思う、湯島聖堂でした。
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(オマケ)
今回の生き物
雨樋からの水を受ける瓶(?)に止まるドバト。水浴びはしてませんでした。
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